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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8614号 判決 1992年12月17日

主文

一  被告株式会社宮崎新聞社、被告水田順也、被告小川光弘は、連帯して、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月二〇日から支払ずみまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告の被告株式会社宮崎新聞社、被告水田順也、被告小川光弘に対するその余の請求を棄却する。

三  原告の被告浜田国臣、被告浜田義則、被告武智千代子、被告浜田昌幸に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告株式会社宮崎新聞社、被告水田順也、被告小川光弘の負担とする。

五  この判決は、第一項にかぎり仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告らは連帯して原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月二〇日(本件訴状送達の日の後日)から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

被告会社に対する請求は、動産の寄託契約に基づく目的物返還債務不履行による損害賠償請求であり、その余の被告らに対する請求は、共同不法行為による損害賠償請求である。

一  争いのない事実及び証拠により容易に認定し得る事実

1  原告被承継人亡勝田篤男(以下「篤男という。)は、昭和四九年四月二三日ころ、被告株式会社宮崎新聞社(以下「被告会社」という。)東京支社に属していた被告小川光弘(以下「被告小川」という。)に対し、漢朝神器双竜銅盆(以下「本件銅盆」という。)とその由来記一巻の売却斡旋仲介を託してこれらを預け(原告と被告小川との間では争いがなく、その余の被告らとの関係では甲三~六及び篤男と被告小川の各本人尋問の結果によつて認める。)、本件銅盆はその頃暫くの間、当時帝国ホテル東館七階にあつた被告会社東京支社事務所に展示されていた(全当事者間で争いがない。)

2  被告小川は、被告水田順也(以下「被告水田」という。)の紹介により、昭和四九年一〇月一七日、福田進(以下「福田」という。)から、被告小川個人及び被告会社東京支社長被告小川の連名の名義にて、弁済期を同年一〇月三一日と定めて金四五〇万円を借り受け、その際、福田に対し借入金債務の履行を担保するために本件銅盆等を譲渡したが、被告小川らは右債務を弁済できず本件銅盆を受け戻すことができなかつた(原告と被告小川及び被告水田の間では争いがなく、その余の被告らとの関係では、《証拠略》により認める)。

3  本件銅盆は、直径四三・九三センチメートル、高さ二四・二四センチメートル、重さ七・一二キログラムの銅製であつて、盆に水を満たしてその縁に刻まれた両耳をこすると咆哮様の唸りが生ずると共に、盆の底に浮き彫りされた雌雄二頭の竜口から高さ約三〇センチメートルの水柱が噴湧すると言われる物であつて(原告と被告小川及び被告水田の間では争いがなく、その余の被告らとの関係では、《証拠略》により認める。)、篤男が昭和の初め頃、親交のあつた当時の満州国皇族恭親王から贈られた物であつた(《証拠略》により認める)。

4  なお、篤男は昭和六〇年八月二七日死亡したので、相続により原告が篤男の権利を承継し、被告浜田国臣、被告浜田義則、同武智千代子及び同浜田昌幸(以下「国幹承継人ら」という。)の被承継人である亡浜田国幹(以下「国幹」という。)は、昭和五八年九月一日死亡したので、相続により国幹承継人らがその義務を承継した(争いがない)。

三  当事者双方の対立する主張

1  原告は、

(一) 被告会社に対しては、篤男は、被告会社東京支社長を名乗る被告小川に対し、本件銅盆の売却斡旋を託してこれを寄託したのであるから、右名称を許した被告会社は寄託契約に基づき本件銅盆の返還義務を負つていたが(商法四二条)、その帰責事由により返還義務が履行不能となつたので、被告会社は原告に対し債務不履行による損害賠償責任があると主張し、

(二) 被告会社を除くその余の被告らに対しては、本件銅盆が篤男の所有物であつてこれを被告会社の資金繰りのために担保に入れてはならないことを知りながら、共謀して、譲渡担保権を設定することにより、結果として本件銅盆を失わせてしまつて原告に損害を与えたから、原告に対し、共同不法行為による損害賠償義務があると主張した。

2  被告会社は、寄託契約締結当時は、被告小川に対して「被告会社東京支社長心得」との名称の使用は許したが、「被告会社東京支社長」との名称の使用は許していなかつたし、骨董品の売却仲介斡旋は被告会社の義務には関係がないから、被告会社には責任がないと反論した。

3  被告会社を除くその余の被告らはその責任を否定し、被告水田及び国幹承継人らは知情や共謀の事実を否定した。

四  争点

1  篤男と被告会社との間で本件銅盆の寄託契約が有効に成立したか。

(一) 被告小川は被告会社の表見支配人であつたか。

(二) 本件銅盆の寄託を受ける行為は被告会社の営業に関する行為か。

2  被告会社の本件銅盆返還義務は被告会社の責めに帰すべき事由により履行不能となつたか。

3  原告が本件銅盆の所有権を喪失したのは被告会社を除く被告らの共同不法行為によるものか。

4  本件銅盆の価額と損害額。

第三  争点に対する判断

《証拠略》により次のとおり判断する。

一  被告会社と篤男との間の寄託契約の成立

1  被告小川が被告会社の表見支配人であつたこと

被告小川は被告会社の支配人として登記されていなかつたが、被告会社の当時の代表取締役であつた国幹承継人らが被告小川に対し、被告会社の「東京支社長」の名称を使用することを最終的に許したことについては争いがない。しかし被告会社及び国幹承継人らの主張によれば、本件銅盆の寄託契約が締結された昭和四九年四月二三日当時は、「東京支社長『心得』」との肩書を許していたに過ぎず、「東京支社長」の名称を使用させたのは、その後になつてからであるとのことであり、国幹本人尋問の結果中には右主張に副う部分がある。世上「部長心得」或いは「課長心得」等の名称は、未だ部長又は課長には任命されていないが部長又は課長の職務を行う者であることを示すために使用されているから、「東京支社長『心得』とは「東京支社長としての職務を行う者を示す名称であつて、「東京支社長」を名乗るのと何らかわりがない。被告会社東京支社長なる名称は、被告会社の東京における支配人であることを示す名称であるし、東京支社長心得なる名称は被告会社の東京における支配人としての職務を行う者であることを示す名称である。とすると被告小川は被告会社の表見支配人であつたということができ、被告小川は、被告会社代表者に代わつて、被告会社の営業に関する一切の行為をなす権限を有していたと認められる。

2  被告小川が被告会社の営業に関して寄託を受けたこと

被告会社及び国幹承継人らは、被告会社はもともと日刊新聞の発行を主たる業務とし、不動産の売買斡旋を付随的に営むことはあつても、本件銅盆のような骨董品の売買斡旋等は、その目的外の行為であり、被告会社の営業に関する行為ではないから、被告小川が表見支配人であるとしても、原告との間の本件銅盆の寄託契約は被告会社に対しては効力を生じない、と主張した。《証拠略》によれば、被告小川の被告会社東京支社長としての職務は、東京における取材や広告取り及びそれに付随する業務であつたとのことである。被告会社のような地方新聞や業界新聞の発行会社がその有する人脈等を利用して、各種の取引等の仲介斡旋をその付随業務として営むことは広く行われているところであり、そのような付随業務中には不動産の売買仲介斡旋は含まれるが、骨董品や動産の売買仲介斡旋は除外されるというのは不合理である。とすると、本件銅盆の売買仲介斡旋及びそのために本件銅盆を預かることも被告会社の業務に含まれ、本件銅盆の寄託契約締結は被告会社の営業に関する行為と認められる。

かくして篤男と被告会社との間の本件銅盆寄託契約は有効に成立した。

二  寄託契約における目的物返還義務が履行不能となつたこと

前記第二「事案の概要」欄第一項2記載のとおり、被告小川は、福田に対する借財の譲渡担保として本件銅盆を引き渡したが、その債務を弁済せずこれを受け戻さなかつたものと認められる。また被告会社の東京支社は独立採算制となつており(国幹)、被告小川らにおいて帝国ホテルに対する家賃等の東京支社の経費を調達しなければならず、その捻出のために被告小川は本件銅盆を担保に福田から融資を受けたのであつた。

《証拠略》によれば、福田は、被告小川が本件銅盆の処分権限を有すると信じて、その引き渡しを受けたものと認められるから、民法一九二条により、福田が本件銅盆の所有権を取得し、もはや原告はこれを追奪することはできない。とすると、本件寄託契約に基づき被告会社が原告に本件銅盆を返還する債務は、被告会社の責に帰すべき事由により履行不能となつたものと認められる。

三  被告小川の責任

被告小川は原告から本件銅盆の売却斡旋を託されていたに過ぎないのに、被告会社又は被告小川の借金の「かた」に本件銅盆を差し入れて流してしまつたのであるから、被告小川の行為が不法行為を構成することは明らかである。

四  被告水田の責任

《証拠略》によれば、被告水田は、被告会社東京支社職員であつた室田清作(以下「室田」という。)から被告会社の帝国ホテルに対する滞納家賃等の支払資金等を調達するために借財したいこと、その借金のために本件銅盆を担保にするものであることを告げられ、それを承知で被告小川を福田に紹介したことが認められる。同じく《証拠略》によれば、被告水田は、被告小川の義父がその知人から本件銅盆の売却を頼まれ、まもなく高価にも売却できる見込みであり、売却が実現できたときはその売却代金を以て借金を返済するので、それまでの間本件銅盆を担保に借金したい旨、被告小川から告げられたとのことである。とすると、被告水田は、被告小川が本件銅盆の所有者から任された権限の範囲を超えて、被告会社の資金調達のための融資金の担保として本件銅盆に譲渡担保権を設定するものであることを認識していたものと認めることができる。もつとも、被告水田は、右のとおり認識しつつ、一方で被告小川と室田から被告小川の義父が本件銅盆の処分権限があると聞かされてそのとおり信じたと供述しており、しかも被告小川らの説明のとおりそれが少なくとも数千万円の価額にて間もなく売却できるとすれば、そのうちの数百万円を被告会社のために一時的に使用しても、結局は本件銅盆の所有者に被害は発生しないであろうと考えていた可能性もある。しかし、被告小川が所有者から託された権限を超えて、所有者のではなく被告会社の経費又は被告小川の用途にあてるための資金を捻出するために本件銅盆を担保に入れることに、被告水田も加担したのであるから、たとえ被告小川らがその借金を返済して受け戻すであろうと考えていたとしても、結局は担保流れになつて取り戻すことが不可能になつてしまつた点について被告水田の責任を否定することはできない。

五  国幹承継人らの責任

《証拠略》によれば、篤男らが帝国ホテルにある被告会社東京支社事務所を訪ねて、本件銅盆の返還を求めた際、被告小川は篤男に対し、本件銅盆は被告会社の熊本支社にあるので間もなく持ち帰つて返すと弁解して、その旨確約する趣旨の甲二号証を作成して交付したが、国幹はその話し合いに立ち会つていて、被告小川と口裏を合わせていたか、少なくともその嘘を否定していなかつたことが認められるし、甲六号証(被告小川の検察官に対する供述調書)の記載によれば、福田からの融資金の内金三〇万円は国幹に渡つている。とすると国幹が情を知つていた可能性があり、国幹も被告小川に共謀又は加担した疑いを払拭することはできない。国幹はその本人尋問の結果中において、右金三〇万円は被告小川が西郷隆秀の振出手形を借りて使用したことによる弁償金を被告小川に立替払いしていたので、その返済を受けたものであつて分け前を受領したのではないと弁解しているが、この弁解も成る程と思わせるものではない。

しかし、これだけの証拠では国幹の共謀又は加担の事実を認めるには足りないし、これらの証拠以外には右事実を認めるに足りる証拠は存在しない。そうすると灰色ではあるが、国幹承継人らの責任を認めるについては証拠不十分という他はない。

六  本件銅盆の価額と損害額

本件銅盆は既に第三者の所有物となつて国外に持ち出されてしまつており、容易にその現物を見ることができず、鑑定の対象とすることもできなかつた(本件訴訟が長期間にわたつて事実上中断されていたのも原告においてその価額の立証方法を検討するためであつた)。原告は本件銅盆の価額は時価一億円以上であると主張するが、篤男本人尋問の結果以外には本件銅盆の価額についての客観的な証拠資料は存在せず、篤男本人尋問の結果だけでは到底その主張のとおり価値があると認めることはできない。しかし、本件銅盆は金四五〇万円の借財の担保とされた事実からすると、被告小川、被告水田及び福田らの関係者は、譲渡担保設定の当時、少なくとも金五〇〇万円以上の価値を認めて、本件銅盆を金四五〇万円の融資の担保としたのであつた。そうすると本件銅盆の当時の価値は少なくとも金五〇〇万円であつたと認められる。

篤男が本件銅盆を入手した事情が原告主張のとおりであることは、篤男本人尋問の結果により認められる。そうすると本件銅盆を失つたことによる原告の嘆きには計り知れないものがあつたと認めることができ、その慰謝料は金一〇〇万円を相当とする。

七  結論

以上の次第であるから、被告会社には金六〇〇万円の限度で債務不履行による損害賠償義務があり、被告小川及び被告水田も右金額の限度で共同不法行為による損害賠償義務を免れることはできないが、国幹承継人らの責任については立証不十分である。

(裁判長裁判官 高木新二郎 裁判官 佐藤嘉彦 裁判官 釜井裕子)

《当事者》

原告 亡勝田篤男承継人 勝田光子

右訴訟代理人弁護士 田中郁雄

被告 株式会社 宮崎新聞社

右代表者代表取締役 浜田義則 <ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 内野経一郎 同 春日秀一郎

被告 水田順也

右訴訟代理人弁護士 早川健一

被告 小川光弘

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